名古屋家庭裁判所 昭和44年(家)261号 審判 1969年12月01日
国籍 アメリカ合衆国ペンシルヴアニア州 住所 名古屋市
申立人 カスリン・アイリス(仮名)
主文
申立人の名カスリンをドロテイ・ケイトに変更することを許可する。
理由
一、申立人の法定代理人らは、主文どおりの審判を求め、その実情をつぎのとおり述べた。
(一) 申立人の養父母(法定代理人)は、申立人出生後二日目に、申立人を事実上の養子として引き取り、昭和三六年五月洗礼をうけ、洗礼名をドロテイ・ケイトと命名してもらい、その後は同女を洗礼名で呼んできたが、同女との養子縁組許可審判のさい、同女の名がカスリンであることがわかつた。
(二) しかし養父母は、申立人を出生後現在まで洗礼名で呼びなれてきたし、学校その他家庭外でもすべて洗礼名によつている。したがつて、同女の名を洗礼名のドロテイ・ケイトに変更することの許可を求める。
二、申立人の法定代理人らに対する審問および調査の結果ならびに法定代理人ら提出の各資料を合わせ考えると、本件については、上記申立の実情で述べられているような事実が認められるほか、つぎのような事実を認めることができる。
(一) 申立人の養父は、アメリカ合衆国ペンシルヴアニア州で出生、同地で成育し、養父母は一九五四年婚姻したものであるが、婚姻後養父母は、教育宣教師として、アメリカ合衆国、沖繩、日本などの各国でキリスト教布教、英語教師などの職に従事している。
(二) 申立人の養父母は、昭和三六年八月申立人をつれて、沖繩から来日し、養父は名古屋学院大学で教育宣教師として英語を教え、養母も日曜学校で教育宣教師として教育にあたり、また、申立人は名古屋市内のアメリカンスクールに通学させており、将来何時日本を離れるか未定である。
(三) 養父母は、婚姻後実子に恵まれず、かねてから養子をもらいたいと念願していたところ、たまたま、昭和三六年三月沖繩在住中に、同島クエ基地で出生した米国籍の申立人が、事情あつて養子としてもらえることになつたので、生後二日目の同月五日申立人やその両親の名も知らされないまま、申立人を病院から引取り、同年五月一四日申立人を洗礼してもらい洗礼名をドロテイ・ケイトと命名してもらつた。
(四) ところが、同月一七日沖繩那覇中央巡回裁判所から申立人を養子とすることを許可する旨の審判書(同月一五日づけ)を受け取り、そのとき、はじめて、申立人にはすでにカスリンという名がつけられていたことを知り、さらに同月一八日アメリカ合衆国在沖繩領事館副領事発行の申立人の出生証明書によつて、申立人の名は、カスリンと呼ぶのが正しいということがわかつた。
(五) しかしながら、申立人の養父母は、申立人が洗礼をうけて以来同人をドロテイ・ケイトと呼んでおり、また申立人の予防接種証明書、申立人の幼稚園、小学校入学後の生徒名、成績表など家庭外での呼称もすべて洗礼名を慣用しており、本名を使つたことはない。今後本名を使うことは、かえつてこれまでの洗礼名との混同をきたすことになる。
三、上記認定事実に対する当裁判所の判断は、つぎのとおり。
本件の認定については、前提問題として、管轄権、準拠法、反致原則適用の有無などが問題となるので以下これについて検討してみよう。
(一) まず裁判管轄権について。本件のように人格権の一種とみられる氏名権の行使に関するものについては、その者の本国の公簿に登録される本国の管轄に専属するとする考え方もある。しかし、氏名の変更許可が本国で承認され、本国でその旨の登録がされるような場合についてまでも、日本の管轄権を否定するのは、あまりにせまい考え方であり、現代の国際私法の原則にも合致しない。そこで、本件のような名の変更事件についても、申立人の本国法によつても名の変更が許され、その登録がされうるような場合で、しかも申立人が日本に住所をもつかぎり、日本に国際裁判管轄権を認めるのが相当と思われる。以上の積極説の立場にたつて、本件については、後に述べるように管轄の要件が認定できるから、日本に国際裁判管轄権を認める。また申立人の住所は名古屋市内にあるから当庁が国内管轄権をもつことになる。
(二) 準拠法について。本件のように身分関係の変動とは関係なく、その意思にもとづいて名を変更する場合は、氏名権の行使に関するもので人格権の一種とみられるから、我国の法例には直接準拠規定となるものは見当らない。しかし、氏名変更の問題は、これが公簿に登録されることによつて、その者の公的な種々の法律関係が形成されるもので、その国の公的な政策と密接な関連をもつことになる。したがつて、法例に規定を欠いても、条理上当事者の本国法によつて規律されるべきものと考えられる。本件については、申立人はアメリカ合衆国の国籍をもつており、かつ申立人の養父は、ペンシルヴアニア州で出生成育し、同州に住所を持つていることからして、申立人も父の住所である同州に本源住所を持つことになる。したがつて、準拠法については、法例二七条三項によつて、ペンシルヴアニア州法が準拠法となる。
(三) 反致について。ところで、アメリカ合衆国各州の法律は、氏名の変更について、一般に申立人の住所地州の裁判所に管轄を認めており、かつ各州間では、住所地州でされた氏名の変更は他の州でも承認さるべきものとされている。そして、ペンシルヴアニア州の制定法によれば氏名の変更を申立てるには、申立前五年間同州に居住することを要件としている。そこでアメリカの各州でのこのようなルールが、日本での氏名の変更にまで妥当するかどうかが問題となるが、申立人が現に日本に住所をもち、かつ、本国の住所地州で氏名の変更を求めうるに必要な居住期間を日本において充足している場合は、申立人の住所地国である日本に国際的裁判管轄権を認め、かつ、住所地国の法律を準拠法とするのが、便宜でありアメリカ国際私法の原則にも合致するものと考えられる。すなわち、以上の要件を充足する場合法例二九条によつて反致の原則が適用され、日本法が準拠法として適用されるとするのが相当と思われる。以上の考えにたつて、本件をみると、申立人らは、昭和三六年八月以降日本に居住し、今後も居住予定であること、居住目的も養父母が職業である教育宣教師として日本の学校に勤務する必要によるものであること、などの点からして長期居住の事実と長期居住の意思があるものというべく、米法にいう住所(domicile)を日本に選択したもの、すなわち、選定住所を日本にもつたものと認められ、かつ、すでに八年以上日本に居住しているのであるから、ペンシルヴアニア州制定法による氏名変更のための居住期間をも充足していることは、前記認定によつて明らかである。したがつて、本件については反致の原則が適用され日本法が準拠法として適用できるものと解される。
かようなわけで、本件については、一応反致の原則が適用されるものと考えられるが、ここで留意しなければならないのは、この原則を適用することがペンシルヴアニア州の国際私法上の公序その他の理由で排斥されないかどうかの点であろう。とくに、人事訴訟事件と比較して、本件のようにその者の本国法によつて規律さるべき特性をもつた非訟事件の裁判については、その適用について、より慎重な態度が望ましいことは明らかであろう。しかし、本件は、いわゆる氏(Family name)の変更ではなく名の変更に該当すること、ペンシルヴアニア州法で要求する名の変更のための五年の居住期間も充足し、その他、名を変更するについて、不正な意図も見当らないし、前記認定のように、申立人は生後八年以上洗礼名を慣用してきたものであるから、名変更についての充分な理由があるものと考えられる。すなわち、本件名の変更許可については、本国法の要件からしても、とくに妨げとなるような事由がないと認められるから、いわゆる公序その他の理由で、日本法の適用が排斥されないとみるのが相当である。
(四) ここで、本件について、最後に戸籍法一〇七条二項にいう名を変更するについての正当な事由が存在するかどうかが問題となるが、前記認定のように、申立人は出生後八年以上にわたり洗礼名を慣用しており、本名を全く使用していなかつたことからして、名を本件申立の趣旨どおり変更するについて正当な事由があると認めるのが相当である。なお、つけくわえると、本件のような名の変更を許可しなくとも、申立人は洗礼名を通称として使用すれば足るのではないかという疑問もでるかと思われるが、本件は、名の変更を公簿上に登録されることを希望したうえでの申立であるので、変更許否の点について判断したわけである。
四、かようなわけで、本件名の変更申立については、これを認容することとし、主文のとおり審判する。
(家事審判官 加藤義則)